承認欲求を、消そうとしていた。——「すごいね」と言われたかった私が、それを認めるまで

未分類

「すごいね」と言われたかった。
それを認めるまでに、ずいぶん時間がかかった。

中目黒に住んでいた頃、私はSNSで発信している人たちを、どこか遠くから眺めていました。

顔を出して、言葉を発信して、見知らぬ誰かに届けていく。
ああいう人たちは心が強いな、と思っていた。
叩かれたり、変なことを言われたり、怖くないのかなと。

羨ましさも、少しあった。
でもそれを認めるのが、なんとなく嫌だった。

表参道・中目黒エリアで感じた、あの劣等感のこと

同棲を始めて表参道に引っ越した頃から、その感覚はもう少し複雑になりました。

あのエリアには、すごい人が多い。
自分のブランドを持っている人、海外で活躍している人、会社を売却して悠々自適に暮らしている人。
友人や知人にも、そういう人たちがたくさんいた。

劣等感と呼ぶのが正確かどうかわからないけれど、何か重たいものが胸の奥に積もっていく感じがありました。

私だって美容の仕事をしていた。
それなりに必死にやっていた。
でも、あの人たちとは何かが違う気がして、その「何か」が何なのかも、うまく言葉にできなかった。

子どもが生まれて引っ越して、劣等感の正体がわかった

娘が生まれて、中央線沿いの少し落ち着いたエリアに引っ越しました。

街の空気が変わりました。
肩の力が抜けるような、穏やかな商店街。
ママチャリがたくさん走っていて、子どもと歩くのにちょうどいい商店街があって。
表参道や中目黒の「洗練」とは違う、生活の匂いがする街。

この街に来てから、あのエリアで過ごしていた時の劣等感が、少しずつ形を変え始めた気がします。

羨ましいという気持ちは消えていない。
でも、あの人たちと同じ土俵に立ちたいわけじゃないかもしれないと思い始めた。

私が欲しかったのは、フォロワーの数じゃなかった。

専業主婦の承認欲求——認めてほしかった相手は、誰だったのか

正直に書きます。

誰かに「すごいね」と言われたかった。
価値があると、認めてもらいたかった。

でも、その「誰か」を考えたとき、それは見知らぬフォロワーじゃなかった。
友人や知人、かつて同じ街に住んでいた人たち——顔が浮かぶ、具体的な誰かだった。

承認欲求なんてないふりをして、平気な顔をしていた。
消すべきものだと思っていた。
でも消そうとするほど、どこかが苦しくなった。

認めてほしいと思う自分も、ちゃんと私だった。

満たされたわけじゃないけれど

このブログを始めたからといって、承認欲求が満たされたわけじゃありません。

「すごいね」と言われたいという気持ちは、今もある。
それは正直なところです。

ただ、何かが少し変わった。
「認められたい」という気持ちに振り回されるのではなく、「何かをやっている」という自分への信頼が、少しずつ積み上がっている感覚がある。

承認は、外から来るものだと思っていた。
でも今は、自分の中から少しずつ育てるものかもしれないと思い始めています。

母であっても、承認欲求があっても、私は私でいい

中目黒、表参道、そして今の街。

住む街が変わるたびに、私の役割も変わってきました。
でも、どの街に住んでいても、どんな役割を担っていても、「私」は「私」のままでいたい。

承認欲求がある自分も、劣等感を抱えていた自分も、それでも何かをしようとしている自分も、全部私だと思う。

今日もこの街の空の下で、小さく言葉を置いていきます。

コメント

タイトルとURLをコピーしました