専業主婦の私が、美容院の帰り道に「泥棒みたいな気分」になる理由。稼いでいない罪悪感とブログ

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平日の昼間、おしゃれで行き交う表参道の街。
3ヶ月に一度、私はお気に入りの美容院へ足を運びます。

カット&カラーやカットトリートメントで2万円。
その間に、近所のカラー専門店で白髪のリタッチを3,500円。
リタッチ代は余裕があれば生活費から出すこともあるけれど、表参道の2万円はいつも、自分の貯金から払っています。

決して安くはない出費。
けれど、鏡の中のボロボロだった自分が少しだけ戻ってくる気がして、私はずっとここへ通い続けています。

でも、帰り道がいつも、少しだけざわつくのです。
きれいになったばかりの髪をそっと撫でながら、胸の奥に小さな、でも確かな後ろめたさが生まれます。

これは、夫のお金じゃない

誤解しないでほしいのですが、夫に何か言われたわけじゃありません。
責められることもないし、嫌な顔をされるわけでもない。
むしろ、お金の使い道について夫は何も言いません。
子育てや幼稚園の都合もあるし、私が今は働けない状況にあることも、ちゃんと理解してくれています。

でも、何も言われないからこそ、社会の中で「何も生み出していない自分」だけが、静かに浮き上がってくる。

美容院の2万円は、独身時代、美容の仕事に寝食を忘れて没頭し、必死に働いて積み上げた「自分の貯金」から出したものです。
夫に頼んで出してもらったお金じゃない。

なのになぜ、私は泥棒でもしているみたいな気分になるんだろう。

過去の自分を食いつぶしている感覚

仕事を手放した日、正直なところ、ほっとした自分もいました。
数字に追われる締め切りも、職場での気遣いも、満員電車もなくなった。
その代わりに始まったのは、初めてのことばかりの育児の毎日。
子どもとの生活はバタバタで、あっという間に一日が終わっていきます。

でも、何かにお金を使うたびに、過去の自分が積み上げたものを少しずつ削り落としている気がする。
社会と繋がっていた頃の自分から貯金を借りて、今の「一円も稼いでいない私」をなんとか繋ぎ止めている。そんな感覚が消えません。

名刺も肩書きも、社会から呼ばれる役割もなくなった。
家族に必要とされていないわけじゃない。
でも、社会の中の「私」は、あの日を境に少しだけ遠くなってしまった。

これだけ毎日、必死に育児と家事をやっているのに。
それでも、一円も生み出せていない自分を、私はまだ許せていなかったのだと思います。

「稼ごうとする」だけで、少し楽になった

あの頃と今で、何が変わったか。

お金はまだ、一円も得られていません。
このブログも、これから芽が出るかどうかもわからない。

でも、「また自分で稼ごうとしている」という、その方向性を決めただけで、気持ちがだいぶ楽になりました。

自分の足で動いているという感覚。
何かを新しく生み出そうとしているという感覚。
それだけで、美容院の帰り道に私を襲っていた、あの嫌なざわつきが、少しだけ静かになったのです。

結果が出る前であっても、向いているベクトルが変わるだけで、こんなに心の持ちようが違うのかと驚いています。

過去の自分を食いつぶすのを、終わりにしたい

誰の持ち物でもない、今の私が新しく生み出したお金で、自分の綺麗を自分のために使いたい。

美容院の2万円を、何の後ろめたさもなく、自分のために真っ直ぐ払える日が来るまで。
私はここで、小さく土を耕し続けようと思っています。

母であっても、妻であっても、私は私のままでいたい(still her)。 まだ芽は出ていないけれど、新しい「私の記録(log)」を耕している感触だけは、今、確かに右手にあります。


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